設立起源
山元学校を始められた経緯を教えて下さい。
経緯はいくつかあります。
まずひとつは、瀬島龍三さんが「幾山河」の出版記念パーティで「自分の会社だけでなく日本人や日本の国づくりにも心配りして欲しい」と言われたことです。
それから、外国人から「日本人は死んだ魚の目をしている」と冗談半分に言われショック受けたことがあります。私も海外から帰国したとき、無気力、無感動の精彩のない日本人が多くなっていたのに気づいて愕然として、何かしなければと考えたのです。
そんな時、「私塾が日本を救う」という本を読んで、明治維新の迫力ある日本には、吉田松陰の私塾・松下村塾と薩摩の郷中教育があることを知ったのです。サラリーマンのなれの果ての自分に何ができるかわからないが、娘たちが巣立った今、何かしなければまずい、と漠然と思っていました。
そのころ、私の年齢プラスマイナス10歳の自殺者が大幅に増えたのです。通勤途中で人身事故のアナウンスを聞く日が多くなりました。私は、まじめに一生懸命がんばってきた企業戦士が自殺するだなんて…、と、とても虚しくなりました。素晴らしい仲間がいればきっと思い止まるはずなのに!さらに世代間の交流を活発にすれば一体感が出てもっと元気になるはずだと思ったのです。
ちょうどその頃、大学生からの講演依頼やパネルデスカッションのお誘いがふえ、講演後、帰宅すると熱い思いのこもった「また聴きたい!」のメールが嵐のごとく届きました。こんなオヤジにと感激し、気を良くして、月に一回、「再会の場」を設けたのが山元学校の始まりです。
初めは体験談を話していましたが、だんだん賛同者が応援に駆けつけてくれ、たくさんの素晴らしい人が次々に話をする、現在の形に自然となっていきました。現在は、私は進行役に徹しています。
